Story

#03

朝日ビルディングが誕生した中之島の地で、新たな「いのち」を吹き込み、街づくりを掲げた中之島プロジェクト。この大規模な試みに参画したメンバーの中から4名が代表し、プロジェクトの背景や込められた思いについて語りました。

中之島プロジェクト

中之島フェスティバルタワー ×
中之島フェスティバルタワー・ウエスト

中之島の景観を形成し時代を反映し続けた大阪朝日ビル、新朝日ビル、朝日新聞ビル。
この歴史あるビルの思いを受け継ぎ未来へとつなぐ、中之島プロジェクトとは?

中之島プロジェクト 対談

中之島で街づくりをひとつの目標にそれぞれの立場から挑戦を続けた

このプロジェクトには、特別な思い入れがありました。ひとつは、建て替えを行った朝日新聞ビル(1968年竣工)、大阪朝日ビル(1931年竣工)、新朝日ビル(1958年竣工)は、御社・朝日ビルディングの歴史そのものであるということ。そして、その建設に関わったのが弊社・竹中工務店であること。ですから、御社の歴史をしっかりと現代へとつなぎ、弊社の先人が築いた功績も守るための挑戦でもありました。

そのお気持ちはとてもわかります。私たち自身も、それらのビルは竣工当時、時代の先端を走るような建物だったと認識していたので、その思いをちゃんと今の時代に調和させたいという気持ちがありました。

大阪朝日ビルについて言えば、大阪でいちばん高いビルで、展望台、アイススケート場、レストランなどがあった複合施設の先駆け。最もトレンディな場所だったわけですからね。

とにかく、良いものを作りたい意欲に燃えていたことを覚えています。

私たちも、お客様に満足いただける良いビルにしたいという熱意を持っていました。例えば、ご提案書は同じものを使いまわしせず、お客様ごとに思いを届けるようにしていましたね。

再開発を行ったもうひとつのきっかけを言えば、ビルの安全面という部分もありますね?

いちばんは大きな震災が発生したときに、ご入居者様や施設を利用される方々に対して、確かな安全を提供したいというのもこのプロジェクトではポイントでした。

実際、集中的に揺れを制御する制震構造の導入や地下86mまでビルの支えを打ち込むなど、国内トップクラスの耐震性があるビルを実現できました。

阪神大震災や東日本大震災クラスでも安全を確保できるビルですよね。

同時に、中之島を代表するランドマークとして、環境への配慮にも注力しましたね。

社会的な責任として環境にやさしいビルを目指しました。とくに、「河川水利用冷暖房システム」は、2つの川に挟まれた中之島の特長を活かし、堂島川から取水して土佐堀川に排水します。河川水の温度差を利用して、空調用の冷水や温水に変えるシステムです。これでCO2の排出量を約4割も削減できるといったものです。

あらゆる面で充実したビルになっているからこそ、良いお客様がご入居してくださり、ビルの魅力も高まってどんどん人が集まってくる。まさに、「フェスティバルシティ」と呼ぶにふさわしい街のような場所になっていくと思うのです。

人々が集い、つながり、変えていく。タワーから生まれるひとつの「街」

タワーを作って行く段階では、色々な立場の方が本音で前向きな意見をぶつけ合う良い現場でしたね?

私も思ったことは全て言いました(笑)。それで、現場もタワーへの愛情が増して、「絶対に良いものを作ろう!」という気持ちで結束できました。

それは、感じていました。誘致をする際に、お客様にとっては高いお買い物になる訳ですから絶対に現場を見てもらおうと。それで、現場に行くと活気がすごかった。

良いお客様にご入居いただくことで、良いビルになっていくという思いでご協力をしました。とくに、フェスティバルホールは“天から音が降り注ぐ”と言われるほど優れたホールでした。だからこそ、旧ホールの良い部分を残し進化をさせていく。それだけ熱量が高い現場であったわけですね。

現場に来ると活気に溢れているし、整理整頓されてとてもキレイなんですね。これだけ雰囲気が良い現場なら、良いビルができるに違いないと思ってご入居いただいた方も多いと思いますよ。

ご入居されたお客様同士は、とても仲が良いですよね?

はい。私の役目は、お客様のご要望にお応えすること。ですから、当初は積極的にお客様同士でつながっていただく機会を設けていました。ご要望を聞きやすく、お客様も他社の生の情報に触れられると好評だったのです。しかし、いつしかお客様同士で自然とつながって、新しいビジネスが生まれるような良い展開も起こっています。

それに、意外とみなさまは食事をするときは他のエリアに行くのではなく、タワーの下で楽しむという方々も多いですね。

タワーを作るときに思い描いていた、人々が集まる街のような場所という思いが着実に形成されてきているように思います。

それに、ツインタワーができたことをきっかけに、周辺の企業様もどんどんと今の時代にフィットするように変わってきた印象があります。振り返ると、10年にも及ぶプロジェクトは挑戦の連続でした。あえて大きな言い方をすれば、そのおかげで中之島再生の基点を作ることができ、他にはない強みを得られたと思いますね。